日本一使えない社長の誕生
日本一使えない社長の誕生
■正木鉄工所代表の正木利明と申します
こんにちは、正木鉄工所代表の正木利明と申します。
新年あけましておめでとうございます!
今年から、この場をお借りして、正木鉄工所代表としてのコラムを綴って行こうと思います。
お時間がありましたら、是非読んでいただければと思います。
第一回目の今日は私の半生を書かせていただきます。
私は子どもの頃から、物作りが大好きな少年でした。
小さい頃は、私が泣くと母親が近所の工場へ叔母車で連れて行ってくれて、工場の機械が動いているのを見せると泣き止むような子どもだったそうです。
創業者は、私の叔父にあたる人で、小さい頃からずっと親戚付き合いをしてきた方で、私は一番大好きな人でした。
中学になった頃、そんな社長に憧れ、私はそこでアルバイトをさせてもらいました。
何の変哲もない鉄の塊が、人の手によって形になり、その製品が高度成長期の日本を支える製品として使われる。
そんな工場で物を作る事が、私の中で何よりもワクワクするアルバイトだったのを今でもよく覚えています。
■聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
中学校を卒業して地元にある高松工業高等専門学校に入り、5年間設計を学んだ私に、創業者である叔父から正木への入社を進められました。
しかし、もっと世間を見てみたいと思った私は、大手の明電舎に就職する事になったのです。
明電舎は、全国から名だたる大学を卒業した優秀な人材が集まっていたエリート集団で、今で言うならばメジャーリーグのような会社でした。
田舎から、初めて世間に飛び出した私は、周りにいる優秀な社員にもまれ、何度も挫折を味わいました。
しかし、大好きだった設計の部分では絶対に負けたくないと、必死に勉強をしました。
当時はパソコンやスマホがあるわけではありません。
オッケーグーグルと調べる事もできません。
知らない事は図書館に行き、毎日のように参考書で調べていました。
また今思えば、上司には本当に迷惑な部下だったと感じますが、時間さえあれば先輩にアドバイスをもらいに行っているようなウザイ後輩でした。
分からない事があれば、先輩に聞くか自分で調べるしか方法はありません。
全く経験のない若造でしたので、頭を下げて先輩に質問ばかりしていましたが、それが後に大きな財産になりました。
これは、今の若い社員さんにも言える事ですが、自分より少しでも前を歩いている人がいるのなら、その人に教えてもらうのが一番早く成功する秘訣だと思っています。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とはよく言ったもので、この歳になった今でも、自分の知らない事は、その道のプロに聞くのが一番だと思っています。
その会社に入社して2年が過ぎた頃、私は自分のいる部署の中で設計を担当するようになりました。
40人いる部署の中で私が、新規プロジェクトの構造設計の担当になりました。
22歳の若造ではありましたが、よいお給料を頂き、恵まれたポジションで毎日楽しくお仕事をさせてもらいました。
■突然訪れた人生のターニングポイント
しかし、そんな時に大好きだった叔父が倒れたと言う一報が入りました。
叔父が倒れた事で、息子が二代目の社長に就任する事となり、叔父が担当していた設計の仕事をやってくれないかと言われたのです。
今の仕事も順調に進んでいた矢先の出来事で、正直本当に悩みましたが、大好きな叔父を助けたいと言う気持ちで、私は地元に戻る決断をしたのです。
周りからは、アホだとか、勿体ないとか言われましたが、今思えば、これが私の人生のターニングポイントだったと思います。
ある成功者がこんな事を言っていました。
「人生の岐路に立たされた時、綺麗に舗装された道と、いばらの道があるのなら、迷わずいばらの道へ進みなさい」と。
これを今の言葉にするなら、得する道と損する道があったなら損する方を選ぶと言う事です。
「損して得とれ」と言う言葉もありますが、これは私の中で言い換えると「利益を考えず、まずは与えよ」と言う意味だと思っています。
私が見て来た多くの成功者に共通している事は、与える事を惜しまない人達。
ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブをし続けている人達です。
偉そうに書いていますが、当時22歳だった私はそんな考えなど全く無く、ただ叔父の為に役に立ちたいと言う気持ちだけでした。
正木鉄工所は二代目の息子が社長に就任し、私は部長として設計を全般に担当する事となりました。
物作りが大好きだった私は、正木の仕事に夢中になり、この時期が私の人生の中で最も楽しい時代となったのです。
そして40歳も半ばを過ぎた頃、二代目の社長も病に倒れ、部長だった私が突然、三代目正木鉄工所の代表に就任する事になったのです。
人生は何が起きるか全く予想はできませんが、まさか私が社長になるなんて夢にも考えていませんでした。
■日本一使えない社長の誕生
25年以上、物作りしかしてこなかった私が、ある日突然社長になってしまったのです。
経営の「け」の字も知らない私は、毎日がハプニングの連続でした。
魚をさばいた経験もないのに、突然魚屋をはじめるくらい、私にとって社長業は未知の世界だったのです。
営業の方法もわからない、経理もわからない、社員教育もわからない、本当に日本一使えない社長だったと思います。
そんな頼りない私を、助けてくけたのが今の社員の皆さんでした。
出来損ないの社長を社員の皆さんが、毎日助けてくれたのです。
このお御恩は今も忘れる事は出来ませんし、現在こうして社長をさせてもらっているのは、間違いなく社員の皆さんのお陰なのです。
そして、社長に就任し数年がたった時、私の最愛の愛娘が正木に入社してくれたのです。
そんな娘も現在は常務として仕事をしてもらう立場になりましたが、娘には本当に苦労をかけていると思っています。
私の娘、社長の子ども、と言うレッテルは何をしてもついてまわります。
少し褒めるだけで、社長は娘に甘い、娘ばかり可愛がっていると社員に思われてしまうのではないだろうか。
そうなると、娘の風当たりが強くなってしまうのではないかと、他の誰よりも厳しく接してきました。
その結果、昨年娘が倒れてしまい、娘のしていた業務を私がする事となり、改めて娘への感謝の気持ちが強くなりました。
そんな娘も今は順調に回復し、仕事復帰の目途もたってきました。
■正木鉄工所はアットホームな会社
娘には私が引退した後、この正木鉄工所の社長に就任してもらう予定です。
社長になった時、あの時の私のような苦労をかけさせたくない、今のうちに沢山の経験を積んでもらいたいと言う気持ちが、私を厳しくさせてしまうのだと思います。
理解してもらおうなんて思っていませんが、父親としての気持ちと、社長としての気持ちがうまくコントロール出来なかったのだと反省しています。
正木鉄工所は、専務が弟、常務が娘と、ファミリーで形成されたアットホームな会社です。
工場と言えば、3Kだの4Kだの言われますが、正木鉄工所は経験が無くても取り組みやすい仕事で、とても綺麗な工場だと思っています。
社員の皆さんに気持ちよく働いてもらいたい。
そんな想いで、今の本社である、まんのう工場を作りました。
会社も順調に進んでいた矢先に、世界的にコロナと言うパンデミックが起こり、弊社も大きな打撃を受けました。
しかし下を向いていても、何も解決はしませんし、誰も助けてはくれません。
こんな時だからこそ、私が矢面に立ち、新しい正木鉄工所を作っていかなくてはいけないと思っています。
■最後に・・・
いくつになっても、学ぶべき事は沢山あります。
きっと人生とは死ぬまで学び続けるものだと感じます。
今でも、社長とは?と言う問いに即答する自信はありません。
しかし、どんな時も常に考えている事は、私を助けてくれた社員さんを大切にしたい、と言う感謝の気持ちです。
この気持ちは、きっと死ぬまで変わらないのだと思います。
決して表舞台に出る事のない、工場と言う物作りの世界ですが、私たちが作っている製品が、あなたの身近な所で活躍してくれている。
その誇りを胸に、今年も一年頑張って行きたいと思います。
今年から、正木鉄工所は大きく変わります。
社員一丸となって新しい正木鉄工所としての改革が始まります。
その為には、あなたの力が必要です。
私と一緒に正木鉄工所で働きたいと言う、社員さんを随時募集しています。
このような会社ですが、あなたとご縁があれば本当に嬉しく思います。
つたない私の第一回目のコラムですが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(有)正木鉄工所 代表取締役 正木利明
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